Passion Driven!~国際貢献のエキスパートに学ぶ

未来を変えていくために共に学び、働き、自立へと続く道をつくる 中村 八千代さん

社会に受け入れてもらえないのであれば、自分達で働く場をつくっていこう──。国際貢献の現場において「平等」であるがゆえに生じる課題や支援の限界に、「公平さ」をもって挑む社会起業家・中村八千代さん。貧困の連鎖を断ち切るために、フィリピンの青少年達と共につくり上げた働く場とは。国際協力の現場で本当に必要とされるものとは何か。

プロフィール
中村 八千代(なかむら・やちよ)
1969年、東京都生まれ。明治大学商学部を卒業後、カナダへ留学。帰国後は家業の一般酒販店の経営に携わる。2002年~2004年にはNGO団体に勤務。その後、認定NPO法人国境なき子どもたちに勤務し、2006年にフィリピンへ。2008年にはイラク人難民支援のためにヨルダンへ赴任。2年ほどの準備期間を経て、2010年5月にユニカセを法人化、8月にユニカセのレストランをオープンする。現在、ユニカセ・コーポレーション ゼネラルマネージャー、特定非営利活動法人ユニカセ・ジャパン理事長。

目次

  • 想い・情熱
  • 起業・独立

NGO支援を無駄にしない仕組みづくりを

「社会に受け入れてもらえないのであれば、自分達で働く場をつくろう」と立ち上げた社会的企業ユニカセ。常に笑顔を絶やさない中村さんだが、その道のりには多くの困難があった。

 寄付に頼っていた子ども達が寄付に頼らずに生活できる仕組みをつくりたい。そう考えるようになったのは、NGOの立場で国際協力の現場を見たことがきっかけでした。当時、フィリピンに派遣され、貧困層の子ども達への生活支援や教育支援に携わっていましたが、NGOの年間予算は決まっているので、その子ども達すべてを大学まで進学させるのは非常に難しい。一方で、企業が雇用する人材は、即戦力として、大卒者やそうした教育を受けられる家庭で育った子どもが中心になるので、支援を受けている子ども達は仕事に就けない状況でした。実際、彼らの10年後、20年後を調査したところ、自立している数は非常に少なく、社会の構図のなかで見捨てられてしまった子ども達が大勢いました。

 私が直接かかわった子どものなかにも命を絶ったり、殺されたりした子どもがいました。もともとは路上生活者で生活・教育支援を受けていた子どもの一人は、スーパーでトマトソースを盗んで、セキュリティガードに射殺されました。「現場ではなんて命が軽いのだろう」と、その現実を受け入れるのに非常に時間がかかりました。彼にトマトソースを買うお金があったら殺されずに済んだのではないか、仕事で収入を得ていれば盗みをしなくても済んだのではないか。すぐには実現できなくても、彼らの子ども達、次の世代にそうさせない仕組みを、彼らと一緒につくり上げていく作業が必要だと感じました。

 2008年に所属していた団体を離れてフィリピンで市場調査を始め、NGOの支援で育った子ども達と一緒に「社会に受け入れてもらえないのであれば、自分達で働く場をつくっていこう」と立ち上げたのが、社会的企業ユニカセです。みんなで考えた「UNIQUEASE」という名前は、英語の「unique」とタガログ語の「kasi」から取った造語で、Because we are uniqueを意味し、「どんな環境に育とうとも、 私達一人ひとりは、その人にしかない個性や強み、存在する大きな価値をもっている。それに気づき、自分の才能で勝負していく」という思いが込められています。

 NGOの活動では「equality」と呼ばれるように、支援する対象一人ひとりに同じものを与えていくのが鉄則ですが、仕事となるとその次の段階になります。貧困層のなかにもいろいろな子どもがいます。そのなかで真剣に仕事をしたい、自立したいと考えている子ども達にチャンスを与える、私はこれを「fairness」と呼んでいるのですが、そういう場をつくりたかったのです。本来であれば、この子ども達が自立しなければならない年齢になったときに、民間の企業が雇ってくれればいいのですが、現状、それが難しいのであれば、そのギャップを埋めるのが社会的企業の役割であると考えています。

貧困層の青少年達と始めたフードビジネス

参加型ワークショップにて。グループに分かれてケーススタディを行う青少年達。

 とはいえ、メンバーは貧困層の青少年と私だけ。ITスキルや特別な技術があるわけでもなく、高校を出ていない青少年達もいます。観光地であれば、フェアトレード商品の製造販売も考えられますが、マニラではそれも難しい。そこで、現地の人や駐在の方々を対象にできることを考えたときに、実現可能だったのがフードビジネスでした。

 就労トレーニングの一環として青少年達と200社ほど調査したところ、当時、ファストフードやチェーンレストランでは、野菜がほとんど提供されていませんでした。というのも、マニラ首都圏のなかでは、「野菜を食べるのは貧乏人」「金持ちの象徴は肉」という固定観念が存在していて、肉や揚げ物に米という組み合わせが多かったのです。フィリピン人の死因に心臓発作や心筋梗塞が多いことにも着目し、食生活に問題があるのであれば、「健康的な食事を提供するレストラン」をつくろうと。すぐには受け入れられなくても、いずれ健康的な食が求められる時代が来るから、それを我々のアイデンティティにしようと考えました。

 当初は乗り気ではなかった青少年達も、1カ月ほど野菜中心のまかないを食べて、体の変化を実感したらしく、家族にも勧めるようになっていきました。今では、オーガニックカフェやベジタブルカフェが増えましたが、おそらくマニラでオーガニック野菜を取り入れたサラダバーを始めたのは私達が初めてではないでしょうか。

 採用は、必ず現地のNGO経由で行います。6年間で50名弱の青少年を雇用したのですが、現在残っているのは6名です。盗みや嘘で解雇処分をせざるを得ず、NGOにお返しした青少年、結婚前妊娠で育児と仕事を両立できずに辞めていった青少年達、数日で辞めていった青少年達の8割が「もう一度働きたい」と戻ってきますが、ここは仕事をする場であって学校ではありません。結果、再雇用に至ったのは3人で、その際もみんなで意見を出し合って、合意したところで受け入れる形をとりました。私達はチームで共に働いて価値のあるものをつくり出し、それをお客様に提供してその対価としてお金をいただく、それが我々の給料になるという経済の仕組みとともに、店の経営状態も常に伝えています。

接客をするスタッフ。自立に向かって日々励んでいる。

 今でこそお店が回るようになってきましたが、当初は出勤したら私一人だけだったこともありました。日本人にとっては、無断欠勤や遅刻をしないのが常識であっても、「取れるところから取る」「時間どおりには来ない」ことが珍しくない世界で育った子ども達にとっては、そうではありません。注意をして直るものでもありませんので、「どうしたらお客様に喜ばれるのか」「自分が遅刻しなくなったときに遅刻する子を見てどう思うか」などと話をしています。「alive education」と呼んでいるのですが、起こることから学んでいくように働きかけ、そうして育った青少年達が5年、6年と仕事を続けてくれるようになってきたところです。

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