国境を越える若き挑戦者

日本と中国、そして中東をつなぐ国際感覚でファッションショーを見事成功させる 吉永 恵さん

留学生の減少や海外赴任を望まない新入社員の増加など、ともすれば内向きといわれがちないまの若い世代。しかし、そんなレッテルをものともせずに自らの力で積極的に海外に飛び出し、さまざまな活動にチャレンジする若き挑戦者達がいる。そんな頼もしき若者達を紹介する連載「国境を越える若き挑戦者」の第4回では、中東の衣装のファッションショーを成功させた 吉永恵さんをご紹介する。(以下、文中敬称略)

プロフィール
吉永 恵(よしなが・めぐみ)
1993年生まれ。中国黒龍江省ハルビン市出身。早稲田大学政治経済学部3年生。日本青年国際交流機構(IYEO)でのドミニカ共和国派遣、G20 Youth Summitsへの日本代表として参加、中東のファッションショー開催などグローバルに活動中。10月に行われるAPECにYouth Leaderとして参加予定。

目次

  • 日本と外国の橋渡し
  • 想い・情熱

「日本という異文化」からのスタート

日本という国自体が初の異文化体験だった、と話してくれた吉永さん。将来的には日本と中国の懸け橋となるのが目標という。

 “The Secret of Arabian Mode”.

 そんな一風変わったタイトルのファッションショーが、2012年7月に東京・日本橋三井ホールで行われた。アラブテイストのドレスやアバヤ(全身を覆う女性の外套)を身にまとった美しいモデル達が、眩いばかりのライトを浴びランウェイを華麗に飾ったこのショーは、約700人のオーディエンスを動員し、開催後も40以上の新聞・雑誌に取り上げられるなど大成功を収めた。

 その中心にいたのが実行委員長である、吉永恵。ファッションショーの経験やノウハウなど一切もたない当時19歳の一大学生が、「中東という『異文化』を日本に紹介したい」との想いを具現化するためにショーを企画、見事成功させた。だが彼女自身にとって初めての「異文化」体験は、中東ではなく実はここ日本だった。

 「私は中国のハルビン市で生まれ育ったんです。中国人である両親はふたりとも大学時に日本に留学経験があり、卒業後も仕事の都合で日本に住んでいて、私は祖父母とハルビンで暮らしていました。中学2年のとき、日本にいる両親から『1週間だけ日本の中学校体験に来てみないか』と誘われて日本に行ってみると、どうやら様子がおかしい。すでに制服も用意されているし、中学の校長先生にも引き合わせられる、といった感じで気づいたら日本の中学2年生に編入する手はずになっていたんです(笑)。どうも両親は最初から、『娘に日本という異文化も体験させたい』ということで手配をあらかじめしていたんですね。それが私の初の異文化体験でした」 

 現在は帰化して日本国籍をもち、流暢で美しい日本語を話す吉永だが、中学から高校にかけては日本語にずいぶん苦労したこともあったという。

 「当初は日本語が分からなくて本当に大変でした。授業を少し聞きとれるようになったのがこちらに来て1年経った中3くらいで、高校でも最初に受けた模試では国語は『8点』で、偏差値も『低すぎて出ません』という意味で※マークになっていたほどでした(笑)」

 それでも友達との会話や教科書を通じて地道に日本語の勉強を続けていった吉永は、進学した高校で「友達をよりたくさんつくろう!」とダンス部に入部した。

 「ダンスは中国にいた頃からやっていたんですが、ダンス部で踊っていたのはヒップホップの要素が入った創作ダンス。練習は本当にきつかったですが、ある全国ダンスコンクールで部として3位になるなど充実した日々でした。友達もたくさんできたし、チームワークの大切さも学びましたね」

 その頃にはすでに日本語にも不自由しなくなっていた吉永は、高校卒業を控えて志望大学を早稲田の政治経済学部に絞っていた。

 「グローバルに活躍したいという想いがあったので、外国人留学生が多い大学・学部でいろんな国から来た学生と切磋琢磨したかったんです。早稲田にはダブルディグリー(提携校への留学を通じ、卒業時に本属大学の学位と相手大学の学位を同時に取得できる教育プログラム)の制度があり、北京大学への留学も志望していた自分にはピッタリだったんです」

中東文化の美しさを伝えたい、その想いを糧に

大学に入って出会ったとある先輩の影響で中東に興味をもち、実際に各国を旅してまわることに。写真は2012年2月にヨルダンに訪れた際のもの。

 猛勉強の甲斐もあり見事志望学部に入学した吉永は、やがてひとりの先輩との出会いから中東に興味をもつようになった。

 「国際交流に興味があったので、内閣府の日本青年国際交流機構(IYEO)という組織に入り、ドミニカ共和国に行くなどいろいろな活動をしていたんです。そこで出会った中東文化を研究するサークルに入っていた先輩の話を聞くうちに、中東に興味をもつようになりました」

 そのサークルに顔を出すようになった吉永は活動の一環として、実際にヨルダンやオマーン、UAEなどの中東10カ国に赴き、ファッションショーの発案につながるある想いを抱く。

 「実際に行くまでは、中東のイメージといえば恥ずかしながら『ラクダ』や『砂漠』といった程度。でも、中東諸国に行ってみて現地の文化に魅了されたんです。特に私が感動したのは、ベールの下に隠された女性の美しさ。オマーンでホームステイした際に同性同士なので現地女性の素顔を見ることができたのですが、ベールを外すとすごく美人だしスタイルもよくてビックリしたんです」

 現地の街中だと宗教上の理由からベールで覆われて分からない中東の女性の美しさを日本に紹介したい――。そんな想いをもち始めたときに、もともとファッションに興味があった吉永はショーの開催を思いついた。

 「女性の美しさを伝えるだけではなく、中東に対してテロや紛争のニュースから危険なイメージを抱いている人も多いと思いますが、それをファッションショーを通じて払拭したかった。でも、ファッションショーはおろかこれだけの規模のイベントを主催するのも初めての経験で、最初はそれこそ『企画書の書き方』という本を買ってきたくらい(笑)。企画のコアコンセプトは『日本の若者にアラブのことを知ってもらうこと』。若者にとっては、衣食住のなかでも服が一番身近だし、日本の若者はみんなオシャレだからきっと伝わると思ったんです」

 自ら作成した企画書を手にスポンサー探しから始めた吉永だが、実績のない一大学生がいきなりお金を集められるほど甘くはなかった。

 「企業を回っても協賛はもらえないし、『学生に貸した前例がない』と言われて会場を貸してもらえなかったりと、当初は挫折の連続。でも、以前あるビジネスコンテストに入賞した際にご挨拶させていただいた大手旅行会社の社長に直談判に行きプレゼンをしたら、『あなたの情熱を買うよ』と協賛についてもらえたんです。それからは信用がついたのか、協賛してくれるところも増えていきましたね」

 やがて、エジプト大使館や自身が通っていた予備校などもスポンサーについてくれることになり、粘り強く交渉してきた会場も無事確保することができ、ファッションショー開催は軌道に乗っていった。

日中の懸け橋として起業するのが夢

文化や習慣が違う多国籍なスタッフをまとめあげ、ファッションショーを見事成功に導いた。観客やメディアからの評判も上々だったという。

 モデルやスタッフには中東をはじめ、海外の出身者も多くいた。文化や習慣が違う彼らをまとめあげていくのには、やはり苦労もつきまとったという。

 「正直、大変でしたね。彼らのなかには、集合などの時間を守らない子もいる。でもよく観察していると、国やエリアによって遅刻しがちな民族がいるのも分かってきて、それはそれで勉強になりました(笑)。遅れるのは直しようがないですから、例えばこの子たちには集合時間を早めに言っておくとか、もう日本に来て長い子は15分前でいいかとか、工夫をして接していました」

 そして、何より吉永が一番心を砕いたのは、スタッフにどう気持ちよく動いてもらうかだった。

 「スタッフの誕生日はすべて把握していたので、その日はサプライズでプレゼントをあげたりしていました。人に真心で接するとそれは伝わるし、動いてくれるんですね。それは国籍も文化も関係ない、万国共通なんです。またモデルが練習に来るのが楽しくなるような家族的な雰囲気づくりを大事にしました」

 そんな吉永の真摯な姿勢もあり、周囲も「メグのためだったら」と動いてくれるようになった。練習やリハーサルも順調にこなして迎えた当日は、ソーシャルメディアの活用によるPRも功を奏し約700人もの動員を記録、冒頭のような大成功につながった。

 「来てくれた学生さん達も、その後中東文化のサークルに入ってさらに勉強してくれたり、イスラムフードに関するアプリをつくった人がいたりと、少なからずアクションを起こしてくれたのが嬉しかったですね。当初の目的はちょっとは果たせたかな」

 ファッションショーを成功裏に終えた吉永は、その後1年間の北京大学留学を終え帰国。現在、早稲田大学の3年に籍を置きつつ、次のアクションに向けて準備中だ。

 「卒業後は大学院に進むか国際機関に入りたいと考えています。さまざまな経験を積み人脈をつくって、将来的には日本と中国をつなぐようなソーシャルビジネスで起業したいと思っているんです。日中の架け橋になることが私の使命だと思っていますから」

 日本と中国、そして中東をつなぐダイナミックな国際感覚とリーダーシップをもつ吉永の活躍はまだ序章に過ぎないのかもしれない。スケールの大きな日中間のプロジェクトで再びその名を聞く日を楽しみに待ちたい。

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