特集インタビュー

The WASHOKU-SHOKUNIN ~和食で世界に挑む~ 英国で懐石料理の神髄を伝える多才の料理人 海外の日本料理を次のステップへ  石井 義典 氏 日本料理店「UMU」(ロンドン)総料理長

ロンドンの日本料理店「UMU」の総料理長として腕をふるう石井義典さん。日本文化の素地をもたない海外の人々に料理や文化を伝えるとはどういうことなのか。京都での修業時代を経て、スイス、アメリカ、そしてイギリスと、海外で料理の仕事に携わってきた石井さんが、その意味と極意、そして日本料理への思いを語ってくれた。

プロフィール
石井 義典(いしい・よしのり)
1990年、大阪あべの辻調理師専門学校卒業。「京都吉兆」嵐山本店入社。副料理長に就任するも1998年に退社。英語を学びながら竹内栖鳳美術館で庭師をし、出張料理を手がける。1999年、ジュネーブの国連大使公邸の料理長として渡欧。同大使に随行し、2002年からはニューヨークへ。2005年、大使の日本帰国と同時期に京都時代の恩師・樋口正孝氏のケガを知り、約半年間、京都にある同氏の農園を手伝う。2006年、再渡米。ニューヨークのMORIMOTOレストランにて特別コース料理を担当。Rising Star Chefなど数々の賞を受賞。2010年、ロンドンの日本料理店「UMU」の総料理長となる。

目次

  • 想い・情熱
  • 海外で働く

自分の夢をすべてかなえる仕事が料理だった

陶芸、華道、絵画、彫刻など、料理だけではなく「自分の手で物を作る」ことがライフワークという石井さん。

 英国はロンドンの中心、メイフェア地区の一画に佇む日本料理レストラン「UMU」。ここで総料理長として腕をふるっているのが、石井義典さんだ。
 料理の専門学校を卒業後、老舗料理店「京都吉兆」嵐山本店に就職、副料理長まで昇格するが、海外に職を求め、勤続10年を前に退社。公邸料理人の職を得てスイス・ジュネーブ、アメリカ・ニューヨークでキャリアを積むなどした後、2010年より現職に就いた。料理を目指したのは高校時代。そのころから石井さんの視野には海外が入っていたという。
 「学生時代から絵画や彫刻など、自分の手で物を作ることが大好きでした。料理好きの原点も、自分で釣った魚を自分でさばきたいとの思いから。同時に、子どものころから『手に職をつけて海外で暮らしたい』という単純な憧れがあったんです。高校を卒業するとき、そのすべてがかなえられる仕事として料理を選びました」
 公邸料理人となったことで、海外で働くという夢はかなったが、「やっと海外に出た」という実感の一方で、国連大使のもとで働いた6年間を「政府に守られた環境。正直物足りなさがあった」と振り返る。石井さんの本格的な海外挑戦はここからだ。これまでの経験を活かそうとアメリカの滞在ビザ獲得の画策をしているとき、アイアンシェフ(料理の鉄人)として知られる森本正治シェフから声がかかった。ニューヨークにある森本シェフのレストランで特別コースの担当となった石井さんは、Rising Star Chefをはじめ数々の賞を受賞するなどして頭角を現していく。
 3年後、永住権も得て次のステージに進もうと自らのプロジェクトへの投資家を探していたとき、スイス時代の知人の縁で、「UMU」から総料理長職のオファーを受けた。

ケルト人漁師に伝えた魚へのこだわり

「海外では『発信』しなければ何も伝わらない」という石井さん。「UMU」においても多国籍のスタッフと活発にコミュニケーションをとっている。

 7年間暮らしたニューヨークを後にし、期待とともに新天地に乗り込んだ石井さん。しかし、ロンドンで待っていたのはニューヨークとはまったく異なる環境だった。UMUの料理の主軸は懐石料理である。まず、その生命線ともいえる新鮮な魚が手に入らない。
 「ニューヨークには日本の築地から週3便、魚が空輸されます。現地で獲れる魚もあるし、日本とあまり変わらない環境で料理ができていました。ところがロンドンはまったく違っていた。ニューヨークなら賄いでも食べないような魚が市場から入荷されている。どの中間業者を使っても、漁港を訪ねても納得いく素材が手に入りません。要は、イギリスには漁船に氷を持ち込む文化がないため、魚は捕りっぱなしで船に揚げ、漁港で初めて氷を散らすのです。捕った魚は冷蔵庫に入れ、値が上がったときに冷蔵庫にある古いものから市場に出す。中間業者も同じことを繰り返すので、われわれの手元に届く魚は新鮮なものとは程遠い状態になっているんですね」
 石井さんは氷を漁船に積む習慣をもつ漁師を探した。すると、イギリス南西部コーンウォール半島の先端に、魚を大切に扱うケルト人の末裔たちがいることを知る。休日に車で8時間かけて通い、彼らとの関係づくりに注力した。
 「魚を大切にするとはいえ、日本料理に対する理解はゼロ。日本のような輸送システムもありません。日本と同じように生きた魚を手に入れるのは無理なのです。ただし、日本の環境に近づける努力はできる」
 そう考えて、彼らに伝授したのが日本伝統の活け締めだ。石井さんは、活け締めより高度な「神経締め」のテクニックまで披露し、「せめて活け締めレベルの魚がほしい」と伝えた。日本人がここまで魚一匹一匹を丁寧に扱い、大切に考えているということを示したわけである。現在は、その日獲れた魚について漁船から連絡を受け、そのなかから魚を選び、次の日のメニューを決めるという流れが確立されているが、これは地道な交流の成果だ。「20伝えて10返してもらう」――海外で身につけた石井さん方式の成果でもある。
 「僕自身、人と話をすることは正直得意ではありません。でも、海外に出て、何よりコミュニケーションが大事との思いを強くしています。日本では、自ら外に発信しなくても受け入れられるものは受け入れられる。逆にそれが美徳とされることもあります。でも、海外では、お客様にもスタッフにも店の外にも、発信しなければ何も伝わりません」

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