ビジネスパートナーHR入門

Chapter4
ビジネスパートナーHRの役割④
~本社人事部から現場へ異動して初めて見えたこと~

登場する組織の現状と人物紹介はこちら

本連載では、グローバル化の進展に伴って変化する企業の人事部門に求められる役割や、人事部員に求められる意識、行動、能力、スキル、キャリアパスについて考えます。

 

毎回、冒頭に登場するのは、架空の日系機械メーカーの人事企画課長、田中さんです。彼の会社は創業70年。海外売上高比率が3割に近づき、グローバル事業展開が急速に進んでいます。中長期経営計画によると、5年後に海外売上高比率は5割、海外拠点の社員数は日本の2倍に達する見込みです。

 

このような経営環境のもと、経営陣はグローバル共通の人事制度構築にも着手し、外資系グローバル企業で長年活躍した人物を人事部長としてスカウトしました。新任の人事部長の野々村さんは、重要施策として人事部改革に取りかかり、田中さんを「人事部改革プロジェクト」のリーダーに任命します。新卒プロパーで18年間人事労務畑一筋、国内工場と本部での勤務が長く、海外赴任経験がない田中さんは、グローバル企業の人事には馴染みがありません。そんな田中さんからの相談を通じて、ビジネスパートナーHRのあり方を整理していきましょう。

ビジネスパートナーHR(以下、BPHR)には、事業戦略を起点にした人事戦略を策定・実行するだけでなく、社員の意欲や組織の活力を引き出すことも求められます。自身の仕事への誇りや責任感、仲間への信頼感、会社への愛着といった社員の「エンゲージメント」の高さは、企業業績を左右します。エンゲージメントに関するグローバル調査(2012年)[*1]では、社員のエンゲージメントが高く、それを維持できる企業群と、社員のエンゲージメントが低い企業群の業績指標(営業利益率)を比較調査しました。両群の業績指標には、3倍もの格差が見られました。エンゲージメントが高い社員を増やし、最高のパフォーマンスを上げてもらうことは、組織の生産性向上につながるのです。

実は、日本の一人当たりの労働生産性は、主要先進7カ国中1994年以来20年連続で最下位です[*2]。その理由の一つは、日本人全般のエンゲージメントが低いことです。例えば、エンゲージメント調査を専門とする米国ケネクサ社(現IBM Kenexa)の調査(2011年)[*3]では、日本の社員のエンゲージメント度は調査対象29カ国中最下位でした。日本企業では、「自身の仕事と組織に誇りと満足感を持ち、責任感をもって現在の仕事を続け、組織を支持する」と考えるエンゲージメントの高い社員は、3割にとどまっています。

日系機械メーカーの「人事部改革プロジェクト」リーダーを務める田中さんは、現場社員のやる気向上に直接対応することもBPHRの役割と聞き、少し違和感をおぼえました。本社勤務が長く、組織開発の取り組み自体に馴染みの少ない田中さんからの今回の相談内容です。

社員のやる気向上や、経営と社員の意思疎通の仲立ちは、現場マネジャーの仕事だと思っていました。BPHRが取り組むことを具体的に教えてください。

    Chapter4では、社員のエンゲージメントの向上・維持のために、人材開発・組織開発に取り組む「変革エージェント」、経営と現場をつなぐ「従業員のチャンピオン」としてのBPHRの役割を紹介します。外資系企業の人事経験者のAさん、Bさん(両名はChapter2にも登場)、Eさんの話を通じて、取り組みを見ていきましょう。さらに、日本企業の人事経験者のFさんには、「変革エージェント」「従業員のチャンピオン」としてのBPHRのあり方について、自身の経験を振り返ってもらいます。

    Aさん:
    日本企業(機器メーカー) 人材育成部長
    前職の外資系グローバル企業では、事業部門でプロジェクトマネジャーを経験後、BPHRを担当。本社人事部で中核人材の育成にも携わる。その後、日本の機器メーカーに転進
    Bさん:
    外資系グローバル企業 (金融サービス) 事業部門 人事マネジャー
    金融系の外資系グローバル企業数社でBPHRを経験。事業売却で組織体制が変わる中、担当事業部門(社員300名)の将来を見据えた人事戦略づくりや現場社員のケアに取り組む
    Eさん:
    外資系グローバル企業 (物流サービス) 組織開発責任者
    現在の会社に転職後、物流の現場を経験し、総務人事部長に就任。現在は、日本支社の組織開発をリードし、ファシリテーターとして全国の現場でリーダーシップ開発や職場活性化を支援
    Fさん:
    日本企業 (消費財メーカー) 経営企画部長
    入社以来20年以上人事部に所属し、人事部長になる。その後、人事以外の複数の管理部門で責任者を務める。本連載では、経営企画部長の視点で、古巣の人事部を語る

    360度フィードバックを糸口に現場の課題に切り込む

    BPHRの役割として、能力開発・キャリア開発・組織開発を通じて、社員のエンゲージメントを上げ、維持することがあります(Chapter1)。社員の能力開発の方向性と機会を定め、チャレンジを促して意欲と才能を引き出すのです。また、職場のメンバー同士の関係性向上に向けては、課題を突き止め、解決策を提案、実行します。外資系企業のBPHRを務めるBさんが、日々具体的に取り組んでいることを聞きました。

    Bさん

    Bさん

    (Bさん)
    リーダーの360度フィードバックやアシミレーション[*4]を行うと、そこから職場のマネジメント、リーダーシップの課題が見えてきます。職場でアシミレーションを行うときは、私がファシリテーターを務め、メンバーから出てきた意見、要望をリーダーにフィードバックします。例えば、ある若い新任部長は、頭脳明晰で成果も上げてきたのですが、言動の荒さ、指示やチェックの細かさから、部下のやる気が落ちていると聞いていました。実際のアシミレーションの場でも、部下全体の8割から指摘があったため、改善を要すると判断しました。新任部長の上司や人事部長には結果を伝え、彼らと相談した上で、本人へフィードバックを行いました。改善が見られない場合は、改善プログラムの受講や降格もあり得ることを伝え、その後は定期的に面談しています。

    あるチームリーダーは、360度フィードバックの結果、職場のメンバー全員から非常に尊敬され、絶大な信頼を寄せられていることがわかりました。一見、問題はなさそうですが、メンバーと個別に話してみると、多くの人が受け身、保守的で、チームリーダーの判断や指示に依存し過ぎていました。これでは、リーダーが指示するまでチームが動きません。メンバーの主体性は高まらず、課題解決力も伸びないでしょう。チームリーダー自身にとっても、部下の強みを見抜き、強みを活かせる仕事を任せて彼らの力を伸ばす、部下育成力を磨くことができません。そこで、上司である部長と相談し、コーチングを通じてチームリーダーのリーダーシップ開発を行いました。チームリーダーには、リーダーシップスタイルを今の指示命令型から権限移譲型に見直し、メンバーにもっと仕事を任せるようにしてもらいました。

    組織の将来の課題についても、先々を考えて分析し、解決に取り組んでいます。ある専門性が高い部門のメンバー全員と能力開発・キャリア開発について個別面談したところ、ほとんどの人が長年同じ仕事をしており、異動に消極的なことが明らかになりました。他の仕事のことはわからないため、他部門への異動など考えられないと皆が口を揃えます。このまま放置すると、メンバーのキャリアの可能性が狭まるだけでなく、仕事が属人化して、ノウハウや知見が共有されなくなる懸念があります。後進が育たないまま、組織の高齢化も進むでしょう。そのため、自部門以外の仕事を現場で観察するジョブシャドウイングや社内公募へのチャレンジなどを促し、メンバーのキャリアの選択肢を広げ、組織の新陳代謝を高める取り組みを始めました。

    私自身も、担当事業部門の部長から定期的に360度フィードバックを受けています。自身の仕事の改善に役立てることに加え、フィードバックを経験する機会として活用しています。アシミレーションや360度フィードバックは、対象者本人にとっては精神的にきつい体験です。彼らの痛みを理解し、時には自分自身の体験を話すことで、対象者の自己変革をより効果的に促したいと考えています。

    40回のトレーニングに込められた会社からのメッセージ

    「橋渡し役」としてのBPHRは、組織が目指す方向性を社員に伝える一方、社員の声から得られた事業運営に関わる本質的な課題について、事業部長を巻き込んで解決への道筋をつけます。社員が組織に対する迷いや不安を払しょくし、最高のパフォーマンスを上げるための支援です。外資系企業の組織開発責任者として、全国の拠点に自ら出向き、社員と交流するEさんに話を聞きました。

    Eさん

    Eさん

    (Eさん)
    現場マネジャー対象のリーダーシップ研修の実行責任者として、全国の拠点で年に約40回、一人でトレーニングを行ってきました。研修のねらいは、営業とサービス提供の要である拠点のマネジャーに対し、スキル向上にとどまらず、グローバルのグループ全体で求められるリーダーシップのあり方を伝え、浸透させることです。さらに、研修のフォローアップとして、彼らの部下を対象にワークショップを約40回行いました。マネジャーの行動が変わったかどうかを確かめることに加え、拠点の組織運営上の課題を把握することがねらいです。このワークショップを通じ、社員の本音が聞き出せたことで、人材育成や組織活性化の課題の優先順位、具体的解決策が見えてきました。今は、社員満足度調査の結果、問題があると判断したチームへの直接支援を最優先にしています。現場のパフォーマンスへの影響が大きいことが理由です。これから取り組もうとしているのは、拠点を束ねるミッション・ビジョン構築のワークショップと、マネジャーのピープルマネジメント向上のトレーニング。最終目標は、私がいなくても、マネジャーが組織開発への取り組みを日常的に進めることができるようにすることです。

    あなたが事業部長の立場だったらどうしますか?

    多くの社員は、日々懸命に現場で働く普通の人たちです。BPHRが事業部長の意思を事業戦略の視点できちんと伝え、納得してもらうには、どうしたらよいのでしょうか。また、事業部長にとって、現場の社員の声は大切ですが、中には耳の痛いことや反論したいこともあるでしょう。そんな時、BPHRはどのように現場の実態を伝えているのでしょうか。Bさん、Aさんが、日々実践しているコツを教えてくれました。

    Bさん

    Bさん

    (Bさん)
    私の担当事業部(社員300名)では、昨年大きな組織体制変更がありました。会社の方針として、仕事の仕方が変わりましたが、すべての社員がすぐに納得する訳ではありません。現場には、不満を言いながら仕事をする人、周囲を巻き込んで反対の声をあげる人など、「変わりたくない人」がいます。そのような人たちにも、なんとか前向きな気持ちで仕事に取り組んでもらえるように、事業部長とともに、変化に対して前向きなメッセージを発信することに努めています。業務改革で得た成果など小さな成功事例を頻繁に紹介したり、変革に進んで挑戦している人をロールモデルとして取り上げたりするのです。反対を唱え続ける人とは、個別に粘り強く話をします。相手の気持ちをいったんは受け止めて、相手の話をひたすら聞いてみます。その上で「あなたが事業部長の立場だったらどうしますか?」と問いかけ、相手に再考を促します。個別面談だけでなく、日頃、部門のフロアを回った時にも積極的に声をかけて話を聞き、気持ちの変化を促す機会を作ります。

    Aさん

    Aさん

    (Aさん)
    今の会社は日本全国に多くの営業所があり、現場で働く社員の生の声は事業部長の耳にあまり入りません。たまに事業部長が社員の話を聞く機会があっても、自分にとって都合のよいこと、興味のあることだけを取り上げる傾向があります。そこで私は、「良し悪し」の解釈とは分けて、社員ヒアリングやアンケート結果などのデータにもとづいた事実を伝えることで、社員の実態を正しく理解してもらうようにしています。先日、女性社員の管理職登用に向けた施策を事業部長と検討した際、「女性社員は入社6-7年で出産を機に退職する人が多いから難しいなあ」と言われました。しかし調べてみると、入社6-7年目社員は男女ともに退職者が目立ち、最も多い理由は自身のキャリア開発だったのです。このデータを事業部長に伝えたところ、女性登用に向けてキャリアパスの整備を検討することになりました。BPHRは、とかく一般論で語られやすい現場の事象を定量的に語ることで、事業部長の意思決定を手助けすべきだと思います。

    普通の社員を中心に考える

    最後に、日本企業の人事を20数年間務めて人事部長に就き、現在は経営企画部長の職にあるFさんの体験を紹介します。バブル崩壊をきっかけに、多くの日本企業は成果主義にもとづく人事制度を導入しました。人事制度のあり方が年功序列から成果重視へ大きく舵を切った時代に、Fさんは成果主義の人事制度設計に夢中で取り組み、2-3年に一度は人事制度を改定してきました。そんなFさんは、本社人事部門を出てから、現場の社員にとっての人事の存在意義が見えてきたと言います。

    Fさん

    Fさん

    (Fさん)
    人事部長として充実した日々を過ごしていた私は、ある時、業務センターと呼ばれるシェアードサービス部門の部長に異動することになりました。定型業務を地道にこなす部門で、多くのメンバーはあまり評価されておらず、やる気もそう高くはありません。ダイナミックな本部の仕事との落差に落ち込む中で、私は、尊敬する知人の助言から、人事部時代は優秀な一握りの社員の存在しか見ていなかったことに気づきます。「成果主義の人事制度は、優秀な人だけにスポットを当てるものだ。人事部は上位の社員のことしか考えていないのだろう」と、社員に批判された記憶がよみがえりました。

    成果が出せないのは当人のせいだけではない、出せないなりに頑張っている人たちを支えようと考えなかったのはなぜなのか、自問自答しました。ふりかえってみると、普通の社員のエンゲージメント向上に貢献したアイデア提案制度、表彰制度、"さん付け"ルール、社長と社員の懇話会などの取り組みは、すべて経営トップの発案でした。人事部長より現場から遠いはずの経営トップの方が、社員のやる気を上げる術を考え抜いていたのです。人事部が先頭を切って取り組むべき組織開発に取り組めていなかったことは大きな反省です。地道にこつこつと仕事をしている、会社の土台を支える普通の人たちに、より意欲的、自律的に働くようになってもらいたい。人事部に戻ることがあれば、そのためのしくみづくりに取り組みたいと思っています。

    次(最終回)のChapterでは、BPHRを目指す人たちに向けて、BPHRに求められる意識、行動、能力とキャリア開発について、インタビューで集めたBPHRの意見、調査結果などを紹介します。


    *1:エンゲージメントのグローバル調査

    「グローバル・ワークフォース・スタディー」 タワーズワトソン、2012年
    全世界29の業種における中規模・大規模企業のフルタイム従業員32,000名以上を対象に、2012年2月から3月に、オンライン調査で実施。

    *2:日本の一人当たりの労働生産性

    「日本の生産性の動向 2014年度版」 日本生産性本部 2014年

    *3:日本の社員のエンゲージメント度

    「Engaging Level in Global Decline」 A Kenexa Research Institute WorkTrends report、2011年

    *4:アシミレーション

    組織開発の手法の一つで、新任マネジャーが着任したときなどに、早期にリーダーとメンバー間の相互理解を深め、関係構築を促す目的で行われるセッション。メンバーは、リーダーについて知りたいこと、自分たちについて知っておいてもらいたいこと、リーダーに対する要望、自分たちが組織に貢献できること、などをリーダー抜きで議論する。議論終了後にリーダーが入り、メンバーの前で出てきた意見に回答やコメントをすることで、メンバーはリーダーの考えをより深く知ることができる。

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