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Chapter8
効果的な後継者育成の機会をつくる

新年に入り人事部では、次年度の人事異動・昇進のプランを本格的に練り始める頃かと思います。特に次世代リーダー層の異動・昇進先には、当人が能力を発揮し、将来の幹部として成長できる職務(ポスト)を吟味することが求められます。今回は、人材育成の面から次世代リーダー層の異動・昇進に焦点を当てます。教育研修以外の成長や学習の機会について、近年、人材育成の分野で注目されている経験学習理論を軸に考察していきましょう。

<相談内容>

将来の幹部候補の一人、経営企画部F課長を立て直し中のグループ会社へ出向させ、経営企画部長のポストを任せることを所属部門の責任者に提案したところ、「本流でないグループ会社への異動が左遷と受け取られ、辞めたらどうするのか」という懸念の声が...。F課長の育成に適した異動先だと思いますが、どのように説明したら関係者に分かってもらえますか?

(30代 男性 日本企業 人事シニアスタッフ G.T.)

    【解説】

    G.T.さんの周囲の人たちは、F課長の出向プランに対し、彼が将来の幹部候補から脱落するイメージを持っているようです。一方G.T.さんは、グループ会社の経営企画部長の経験は、任される仕事の範囲や権限が大きくなり難易度も上がるため、F課長にとっての成長機会と捉えているのですね。日本企業では、「ある程度リーダーの資質を持つ人材が、20年以上の長期間にわたる厳しい試練や内部競争に勝ち残って部長層以上の経営幹部になる」という"自然淘汰"型の昇進プロセスが主流です(Chapter3参照)。マネジメントスキルやリーダーシップの向上を目指した、意図的で計画的な異動・昇進を早期に行う考え方は、平等を重んじる日本的人事慣行の点からも受け入れづらいのでしょう。

    先進的なリーダー育成を行っているグローバル企業は、経営者の早期育成を目指し、有望な人材を早期に見極め、経験させる職務を熟考します。当人の強みや開発点を見極め、無駄なく効果的に短期間で経験を積めるように、必要な経験を体系的に提供します。例えば、世界最大の食品・飲料会社であるネスレの幹部は、20才~40才代に3年程度で次のポジションに異動するローテーションを数多く重ね、異なる国や役職、事業領域を経験します。その後、グループ会社や海外現地法人、地域担当のトップ、本社の役員などを務めるのです。P&Gも、選抜した人材に速いスピードで様々な国・職務を経験させ、場数を踏ませることによって幹部育成を行っています。キャリアの早期に組織上の責任の重い役割を担う経験は、リーダー育成にどのような効果をもたらすのでしょうか? G.T.さんが関係者に説明できるように、一緒に考えていきましょう。

    リーダー育成に欠かせない「仕事の経験」

    多くのグローバル企業が、有望な人材に対し、複数のストレッチ職務を短期間で経験させ、昇進させていくのはなぜでしょうか?選抜した人材が、経営幹部としての役割を果たせるレベルの経営や事業の知識、専門性を身に付け、リーダーシップ・コンピテンシーを強化するには、"実践の場"で経験を積むことが最も効果的だからです。

    米国のリーダーシップ研究機関ロミンガー社が提唱した「70/20/10の法則」という考え方は、国内外の人材育成の分野で広く知られています[*1]。同社の調査によれば、ビジネスリーダーが「自身の成功に役立った」と思う学習機会の構成比率は、「70%が仕事上の実務経験、20%が他者との交流から受けた教えや支援、10%が教育研修などの勉強」だそうです。「仕事の経験」は、組織リーダーとしての成長機会の核であり、それを他者との交流、教育研修で補うのが理想的な経験のバランスと言われています。成長機会の70%を占める「仕事の経験」を効果的かつ効率的に積むには、異動と昇進が必要不可欠です。

    世界中から毎年1万人近くの人材開発プロフェッショナルが集うASTD国際会議でも、この数年、「70/20/10の法則」に基づいた、集合研修やe-ラーニングにとどまらない多彩なアプローチを盛り込んだプログラムが、次世代リーダー育成のベストプラクティスとして数多く紹介されています。

    経験からの学び方~「経験学習モデル」

    重要な学習機会である「仕事の経験」から、人はどのように学ぶのでしょうか?米国の著名な教育学者コルブ氏[*2]の「経験学習モデル」を紹介しましょう。コルブ氏は、人が経験を通じて学習するサイクルを、「①具体的な経験をする(経験)、②その内容を振り返る(内省)、③教訓を引き出す(概念化)、④教訓を新たな状況に活かす(実践)」という4つのステップでモデル化しました[*3]

    大人の学習者は、自分自身で考えて試し、成功体験や失敗体験を積んだ上で、プロセスや結果を振り返り、自分なりのコツを得る、という学習サイクルを回しています。例えば、プロジェクトが計画通りに進まず納期が遅れる経験をしたプロジェクトリーダーは、その原因を突きとめ、原因に対する予防策や対応策を立てて、次回のプロジェクトで実践することで、プロジェクトマネジメントのコツを学びます。学習サイクルを何度も回して経験から学んだ「実践のコツ」を蓄積することで、マネジメントスキルやリーダーシップが高まるのです。

    どんな「仕事の経験」がリーダーの成長を促すのか

    経験学習サイクルを回す上で、リーダーがどのような経験を積むことが効果的か、国内外で数々の調査研究が行われています。日本のリーダーシップ研究の第一人者である神戸大学の金井教授は、「一皮むけた経験」というキーワードを唱えています。金井教授の調査では、日本企業の経営幹部20人へのインタビュー調査で44事例を集め、幹部自身の成長を促す典型的な経験(「一皮むけた経験」)を抽出しました。具体的には、「新規事業・新市場のゼロからの立ち上げ」「海外勤務」「悲惨な部門・業務の改善と再構築」「プロジェクトチームへの参画」「降格・左遷を含む困難な環境」「昇進・昇格による権限の拡大」といった経験が挙げられています[*4]

    米国の代表的な調査研究として、Center for Creative Leadership(CCL:創造的リーダーシップ研究所)の調査を紹介しましょう。1980年代からの一連の調査研究で、担当のマッコール氏は、「成果を上げるリーダーは、自分で実行し、他人が挑戦するのを観察し、失敗を犯すことによって学ぶ」ことを立証しました。米国の企業経営幹部191人を対象に、「仕事において飛躍的に成長を遂げたと思う経験」を聞き出し、600以上の経験を抽出した調査(1988年)では、リーダーの成長を促す具体的な経験が、以下の4つのカテゴリに分類されています。

    【リーダーの成長を促す経験】[*5]

    横にスワイプすると表を左右にスライドできます。

    カテゴリ経験の性質具体的な経験
    キャリアの節目仕事を通じて新たな価値観を学び、視野を広げ、課題解決や信頼関係構築の方法を身に付けたり、優れた上司のスタイルやスキルから学ぶことにより、段階的にリーダーシップに自信をつけていくポジティブな経験①初期の仕事経験:初めて社会人として仕事をする
    ②最初のマネジメント経験:初めて人をマネジメントする
    ③ゼロからのスタート:何もないところから、事業や会社を築き上げる
    ④立て直し:赤字事業や会社を立て直す、安定させる
    ⑤プロジェクト・タスクフォース:部門横断プロジェクト活動を、単独あるいはチームで行う
    ⑥視野の変化:管理する人数、予算、職種が増える
    ⑦ラインからスタッフへの異動:現場のライン職から本社のスタッフ職へ異動する
    他社との交流⑧ロールモデル:良きにつけ悪しきにつけ、並外れた資質を持つ上司からの影響
    ⑨価値観:個人や会社の価値を示す印象的行動
    修羅場失敗や困難な状況を前に、自身の無力さや人生のつらさと向き合い、それを乗り越えることによって、人格の上で成長する経験⑩事業の失敗:事業や重要な取引を失う
    ⑪昇格・昇進を逃す、惨めな仕事:切望した仕事に就けない、あるいは左遷
    ⑫上司との衝突:上司との衝突や人間関係のもつれに直面し、窮地に立たされる
    ⑬部下の業績の問題:業績上の重大な問題を抱える部下をもつ
    ⑭規定路線からの逸脱:新しいキャリアに挑戦する
    ⑮個人的なトラウマ:離婚、病気、肉親の死、服役などの個人的な危機やトラウマ
    その他 ⑯研修:公式の研修プログラム
    ⑰個人的経験:仕事以外のプライベートの経験

    これらの調査結果を見ると、F課長の異動先を「立て直し中のグループ会社の経営企画部長職」としたG.T.さんの提案は、理にかなっているでしょう。組織は、人事施策と人材開発・組織開発施策を融合させて、リーダーに対して研修の他に「成長を促す経験」を与えることができます。ただし、修羅場経験は、本人が受け入れ難い苦しい試練を乗り越えて振り返った時点で、多くのことを学んだと実感するものであり、組織主導で意図的に作り込むことは難しいでしょう。

    「仕事の経験」を通じて得られる能力とは

    次に、リーダーは「仕事の経験」を通じて、具体的にどのような能力を習得できるのかについて探ってみましょう。経験学習の実証研究を行う北海道大学の松尾教授は、500名に及ぶ日本の大企業の管理職への定量調査を核に、「成長を促した経験」と「そこから得た能力」との関係を分析しています[*6]。その結果、「部門を越えた連携」「変革への参加」「部下育成」という三つの経験が、複合的に「情報分析力」「目標共有力」「事業実行力」の三つの能力を高めることが示されました。また、部門を越えた連携の経験を積むほど「情報分析力」が身に付き、部下育成の経験が増えるほど「目標共有力」が備わり、変革参加の経験を持つほど「事業実行力」を獲得している、という結果も得られています。

    調査で取り上げられた事例には、複数の部門や顧客と連携し短期間で製品の技術課題を克服することで、重要な市場情報を見極める能力を得たり、事業再編において、工場の方向性を自ら作り共有して、メンバーを巻き込み実行していく能力を身に付けたりした例があります。新商品開発、戦略転換、事業改革に携わることで、上位の視点で事業を捉え、事業の実行・推進のための企画立案や組織采配力を培った例もありました。

    *三つの能力の定義:

    • 「情報分析力」...市場・業界・他社動向などの情報や業務に関する知識をもとに、多様な視点を持ちながら論理的に考え、物事の原因を見定め、これから起こることを事前に想定する能力
    • 「目標共有力」...部門や組織における理念や目標を示し、率先垂範しつつ、部門内で共有・浸透させながらメンバーを巻き込む力
    • 「事業実行力」...自社の経営指標や市場の動きを読み解き、その中からビジネスチャンスを見極め、リスクを恐れることなく事業を実行・推進する能力

    人事・人材開発部門は次世代リーダーの「仕事の経験」をどのように支援できるか

    経験学習理論の様々な知見を通じても、G.T.さんが目指す、成長を促すための異動・昇進は、次世代リーダー層の育成に欠かせないことが分かってきたと思います。最後に、「仕事の経験」を効果的に活用して次世代リーダーを育成するために、G.T.さんたち人事・人材開発部門が工夫できることを挙げてみます。

    (1)早期から多くの経験の場を提供する

    次世代リーダーやその候補者には、意図的にストレッチな異動やプロジェクト参加などの場を速いサイクルで提供し、チャレンジの機会、経験を振り返る内省の機会を与えることが望ましいでしょう。経験学習のサイクルを速いスピードで回すことで、「実践のコツ」の蓄積を加速できるからです。前述の松尾教授の調査では、部長時代に「変革への参加」や「部門を越えた連携」の経験を積んでいる人は、それ以前にも同様の経験を積んでいる傾向が見られました。早期に成長を促す三つの経験を積むと、各時代の経験が連鎖し、その後も同様の経験が積みやすくなるそうです。それは、経験を通じて形成された人脈によって、その後も類似活動への参加が促されるからのようです。松尾教授は、これを「経験の好循環」と呼んでいます。

    有望なリーダーが安定して高い業績を上げられるからといって、所属部門で囲い込んで特定の仕事だけに長く従事させると、それ以上学習が進まず本人の成長が止まってしまいます。また、キャリアの早期から有益な経験を積ませないと「経験の好循環」に入れず、リーダーの成長速度が鈍るとも言えるでしょう。現に、日本企業は欧米企業に比べ昇進のペースが遅く早期のキャリアアップが望めないという理由で、アジアでは人気がなく、欧米企業に優秀なローカル人材を奪われがちです[*7]

    (2)ライン部門を人材育成に積極的に巻き込む

    学習機会の7割を占める「仕事の経験」を積む場は、仕事の現場です。権限や仕事の与え方、適時適切なフィードバックの提供、仕事の成果の評価、ロールモデルの提示など、上司やメンターが、次世代リーダーやその候補者の学習支援に果たす役割は重要です。人事・人材開発部門の役割は、将来の幹部候補者と彼らにふさわしい上司やメンターを引き合わせることです。さらに、ライン部門を人材育成に積極的に巻き込み、"仕事の経験を通じてリーダーを育成できる"上司やメンターを広く養成することでしょう。

    近畿大学の谷口准教授は、「経験学習サイクルにおけるリーダーの内省の質が、教訓の質に影響する」と考え、内省の質を高めるための対話の重要性を唱えています[*8]。他者との対話は、ある経験に対する内省を、本人とは別の角度から導くことができます。上司やメンターとの対話は、リーダーが質の高い教訓を得る機会にできるのです。

    (3)失敗から学ぶ機会を増やす

    マッコール氏が唱える「修羅場経験」では、失敗を通じた試行錯誤と軌道修正は重要な学習機会であり、飛躍的に個人の成長を促します。ただ、組織は失敗に寛容でないことが多く、次世代リーダーやその候補者は、失敗によって自らの地位やキャリアを損なうことを恐れてチャレンジを渋り、貴重な学習機会を逃してしまいがちです。組織全体で失敗を許容し、そこから学ぶ組織文化を根づかせることは、貴重な学習機会を増やすことにつながります。

    若手社員の提案で新規事業を次々と立ち上げ、事業責任者や部門責任者を早くから任せているサイバーエージェント社では、撤退を余儀なくされた事業のメンバーには、社内の他部署からスカウトがかかることが多いそうです[*9]。メンバーが事業の失敗経験を振り返って多くのビジネス上の知恵を学んでおり、それらを次の仕事で活かすだろうと期待されるからです。同社では、事業撤退という大きな失敗を人材育成のチャンスとして活かす風土が根づいています。

    優秀な人材が「働きたい」と思う企業には、複雑かつ大きな権限のある仕事が次々と速いスピードで任され、キャリアアップする機会が用意されています。優秀な社員がより早く成長し、重要な役割や仕事で活躍できるようにするためです。自己の能力開発やキャリア開発に熱心な人材は、成長を促す仕組みや風土のある組織に集まり、そこで優秀な人材へと早く成長するという好循環が生まれます。F課長の出向を第一歩として、将来の幹部の早期育成を意図した異動・昇進が、G.T.さんの組織に定着していくことを願っています。


    *1:「70/20/10の法則」

    Lombardo, Michael M; Eichinger, Robert W(1996). The Career Architect Development Planner(1st ed.). Minneapolis:Lominger. p. iv

    *2:「経験学習モデル」

    Kolb,D.A.(1984).Experiential Learning: Experience as the Source of Learning and Development. Englewood Cliffs, NJ : Prentice-Hall.

    *3:

    脚注2の文献をもとに筆者が意訳

    *4:「一皮むけた経験」

    『仕事で「一皮むける」』金井壽宏著、光文社、2002年

    *5:「リーダーの成長を促す経験」

    『ハイ・フライヤー 次世代リーダーの育成法』モーガン・マッコール著、プレジデント社、2002年、P.110図3‐3をもとに筆者が作成。マッコール氏の調査研究をまとめた同書は、次世代リーダー育成戦略の構築、プログラムの企画設計に取り組む人々の必読書となっており、読者の皆さんにぜひ目を通してもらいたい一冊。

    *6:「成長を促した経験」と「そこから得た能力」との関係に関する研究

    『成長する管理職』松尾 睦著、東洋経済新報社、2013年

    *7:グローバルリーダーが望む早期のキャリアアップ

    日本経済団体連合会「アジアにおいて求められる人材マネジメント」、2008年

    経済同友会「日本企業のグローバル経営における組織・人材マネジメント報告書」、2012年

    *8:経験学習サイクルにおける対話の重要性

    谷口智彦「リーダーの成長に欠かせない内省 多様な対話が、その質を向上させる」Works、2011年11月号

    *9:サイバーエージェント社の失敗を活かす組織風土

    『クリエイティブ人事』曽山哲人、金井壽宏著、光文社新書、2014年

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