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大野拓朗氏「世界を舞台に活躍できる役者として成長していきたい」

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世界を舞台に活躍できる役者として成長していきたい

俳優の大野拓朗さんは、2010年のデビュー以来、数多くの映画や舞台、NHKの大河ドラマに出演するなどして順調にキャリアを築いてきた。それだけに、19年7月に突如、所属事務所を退社し、アメリカに留学するとアナウンスされたことは、ファンをはじめ多くの人々を驚かせた。今後のキャリアを大きく左右するであろうその決断を、「周りの人が思うほど重いものではなかった」と笑顔で語る大野さんに、留学に至る経緯や留学中に得たものなどを語ってもらった。

プロフィール
大野拓朗(おおの・たくろう)
立教大学コミュニティ福祉学部スポーツウェルネス学科在学中の2009年、第25回ミスター立教に選出される。10年、映画『インシテミル~7日間のデス・ゲーム~』にて俳優デビュー後は、NHK大河ドラマ『花燃ゆ』(15年)や『西郷どん』(18年)など、数多くのテレビドラマや映画、舞台などに出演。14年から3年間、NHK教育テレビジョンの情報バラエティ『Let's天才てれびくん』のMCを務めるなど、幅広い活躍で人気を集める。19年12月から7カ月間、アメリカでの語学留学を経験する。

目次

  • 個としての軸
  •      
  • コミュニケーション力

英語が大好きだった少年時代。将来の夢は、世界を舞台に活躍する仕事

 両親が洋画好きだったこともあり、子どもの頃から字幕付きで外国の映画やそのDVDなどをよく見ていました。数多くの作品に触れているうちに、スクリーンや画面の中に描かれている外国の文化やライフスタイル、街並みなどに憧れを抱くようになり、中学生になる頃には、将来は世界中を飛び回るような仕事がしたいと夢見るようになっていました。当時の目標は、国境なき医師団。青年海外協力隊にも興味がありました。また、動物が大好きなので、アフリカなどで絶滅危惧種の動物を救うプロジェクトに携わるのもいいな、なんて思っていたものです。

「世界中を飛び回るような仕事がしたい」と少年時代から夢見ていたと語る大野さん。

「世界中を飛び回るような仕事がしたい」と少年時代から夢見ていたと語る大野さん。

 海外で活躍する上で欠かせない英語についても、けっこう自信はありました。どちらかというと学校での勉強はあまり好きではなかったのですが、英語だけは例外で、文法を学ぶのも、イディオムや単語を覚えるのも楽しんで取り組んでいました。おかげで、中学・高校を通じて英語の成績は良かったですね。

 高校卒業後は1年間の浪人生活を経て、立教大学コミュニティ福祉学部スポーツウェルネス学科に進学しました。海外志向が強かったはずなのに、どうしてスポーツ? と思うかもしれませんが、英語は得意だったので、専門的に学ばなくても、独学で十分な英会話スキルを身に付けられると思っていました。中学・高校の6年間、バスケットボール部に所属し、スポーツの面白さや素晴らしさを体験したことから、専門的に学ぶならスポーツ関連がいいという思いが強くなったための選択でした。

 その頃に描いていた将来像は、卒業後はスポーツに関係する仕事に就き、そこで縁のできた志のあるスポーツ選手とともに、世界中の動物を救うプロジェクトを立ち上げるというものでした。世の中には、仕事として、あるいはボランティア活動として、動物を救う活動をされている人が大勢います。それはとても尊い行為ですが、多くの場合、個人や少人数の団体による活動です。それでは、できることにどうしても限界が生じてしまいます。スポーツ選手のような影響力のある人を巻き込み、世間の注目を集めるような大きなプロジェクトをつくったほうが、より多くの動物を救うことができるのではないかと考えたのです。

 ただ、大学2年生の2010年、芸能プロダクション主催の新人俳優オーディションでグランプリを受賞したことをきっかけに、俳優としての道を歩み始めると、その将来像にも少し変更を加えました。ハリウッドスターをはじめ海外の俳優は、自身の知名度を活かしてボランティア活動や慈善事業に精力的に取り組んでいる人が少なくありません。自分も、そうした影響力のある人になれるチャンスを手にできたのです。これを活かさない手はないと、いただいた仕事には常に120%の力で取り組み、期待以上の結果を残すという思いでまい進しました。

 そうした姿勢を評価していただけたのか、デビュー以来、数多くのテレビドラマや映画、舞台などに出演させていただきました。自分で言うのも気恥ずかしいですが、俳優として順調なキャリアを築けていたと思います。でも、俳優になってから10年近く経過し、そろそろ30歳に手が届こうという頃から、「このまま日本に留まっているだけでいいのか」という思いが強くなってきたのです。

全力で駆け抜けた20代。30歳を目前に自分を見つめ直す

 きっかけはいくつかあるのですが、まず仕事で海外に行く機会が増えたことです。海外ロケでは、その国のスタッフや役者と一緒に仕事をすることになるのですが、そうした人たちと英語でコミュニケーションを取ろうと思っても、まったく言葉が出てこない。そう、英語がしゃべれない自分に今更ながら気付いたのです。しかも、同行した日本人スタッフには英語が達者な人が少なくないのです。海外ロケのためにそういう人を選抜したのかもしれませんが、僕だって大学まで英語を熱心に勉強したし、英語力には自信がありました。でも、現実にはひと言もしゃべれない……。それが悔しくて、悔しくて。

 かつては世界を飛び回るような仕事を目標にしていたのに、このままでは一生、英語がしゃべれないまま終わってしまうのではないか。そんな焦りにも似た感情を抱くようになったのです。

20代はとにかく目の前の仕事に全力投入する時期と位置付けていた。

20代はとにかく目の前の仕事に全力投入する時期と位置付けていた。

 もう一つは、親しい友人が2人も相次いで亡くなったことです。共にまだ30代の若さだっただけに、言葉では言い表せないほど大きなショックを受けました。人間ってこんなにあっけなく死んでしまうんだ。若いからといって、一度しかない人生で無駄にしていい時間なんてないんだ。後悔のない人生を送るためにも、自分のこれからの生き方をもう一度しっかり考えなければいけない。そう痛感させられた経験でした。

 僕は20代のうちは、脇目も振らずに目の前の仕事に全力投入して、ひたすら突っ走る時期だと位置付け、実際そうやってきました。おかげで、俳優としても一定の評価をしていただけるようになりました。ただ、その反面、仕事に忙殺されて精神的な余裕がなくなり、本来の自分らしさが失われつつあるような危機感も抱いていました。そこで、30代はもっとスピードを緩め、自分自身がやりたいことを一つ一つ追求していくことをテーマにしようと決意したのです。

 では、自分がやりたいこととは何か。それはやはり、子どもの頃の夢でもあった世界で活躍することです。それを実現する第一歩として、英語を学ぼう。そのためには、海外での生活を経験するのが一番いい。そう考えて、海外留学を決断したのです。

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