Leader's Voice

人とホスピタリティ研究所代表 元ザ・リッツ・カールトンホテル 日本支社長高野登氏 「変わろうとしない自分」と 戦い続けるプロセスが 成長するということ

「変わろうとしない自分」と戦い続けるプロセスが成長するということ

ホテルスクール卒業後に単身渡米し、20年間にわたってアメリカのホテル業界で奮闘した経験をもつ高野登さん。帰国後は、ザ・リッツ・カールトンホテルの日本支社長として、ブランディング活動にも大きく貢献してきた。自らの経験を踏まえ、「若い世代にはどんどん海外で挑戦してほしい」とエールをおくる。多様な価値観の中に身を置くことが、どれほど実り豊かであるかを、高野さん自身が体現しているといっていいだろう。

プロフィール
高野 登(たかの・のぼる)
1953年長野県生まれ。プリンスホテルスクール卒業後、アメリカに渡り、ザ・キタノ・ニューヨーク、スタットラー・ヒルトン、ニューヨーク・プラザホテルなどでホテルマンとして活躍。1990年、リッツ・カールトンの創業メンバーとともにザ・リッツ・カールトン・サンフランシスコ開業に尽力。1994年に日本支社長として帰国。1997年に大阪、2007年に東京の開業をサポート。日本にリッツ・カールトンブランドを根づかせた。2010年、人とホスピタリティ研究所を設立。リーダーシップや人財育成などをテーマに研修や講演活動を行っている。

目次

  • リーダーシップ
  • 想い・情熱

本当の「フェアネス」とは何か

SFフェアモントホテルの上司とナパバレーのぶどう畑を訪問。

SFフェアモントホテルの上司とナパバレーのぶどう畑を訪問。

 アメリカでの生活は、気がつけば20年に及びました。その間、いくつかのホテルで働くチャンスがあり、いろいろなことがありました。それだけで、本が10冊くらい書けるかもしれない(笑)。
 スタットラー・ヒルトンで営業部のセールスマンとして働いていたときのことです。当時、常宿が別のホテルだった日本航空のクルーをこちらに移したいと交渉を試みました。でも、何度行っても門前払い。「うちのスタッフをあんな危ない場所のホテルに泊められるわけがない」と。「じゃあ、どうしたらいいのですか?」と尋ねると、日本航空用のフロアをつくるように言われて。壁紙の模様からバスタブの高さ、フロア内の安全基準に至るまで、必要なスペックをすべて聞き出しました。支配人に相談したところ、まだ日本航空から確約を得ていないにもかかわらず、費用を投じて、すべての条件を満たした改装を行うという決断をしてくれた。その後、日本航空の方に、改装したフロアを見るだけでもいいからと来てもらうと、すばやく丁寧に対応したことが決め手になり、1週間後には、クルーの常宿になることが決まったのです。
 アメリカのビジネスにおける交渉で大切なのは、双方にとってベストな方法は何かを考え続けるということ。お客様にとっての価値は何か、それに対して我々ができることは何か。そういう思考回路を徹底的に仕込まれたのは、その後、リッツ・カールトンに移ってからも非常に役立ちました。

1999年、ザ・リッツ・カールトン本社社長(左)と副社長(右)とともに。

1999年、ザ・リッツ・カールトン本社社長(左)と副社長(右)とともに。

 リッツ・カールトンの創立者、ホルスト・シュルツィに初めて会ったのは1988年、当時私はサンフランシスコ(以下SF)フェアモントホテルに勤めていて、ベルリンで開催された旅行関連のコンベンションに参加していました。そこで、「面白いホテルマンがいるよ」と知人に紹介されたのが、シュルツィです。そのころのリッツ・カールトンといえば、まだアメリカに3軒ほどのホテルを持つにすぎない小さな会社。でも彼は、「今後は海外展開を考えている。君の国にも行くかもしれないよ」と目を輝かせて夢を語ってくれました。そのときに交わした握手のエネルギーがすごかった。こういう人と仕事ができたらきっと面白いだろうと、そのときリッツ・カールトンの名前が胸に刻まれました。
 ところで、運命というのは不思議なものです。SFフェアモントの契約が切れる年のはじめに、数ブロック先で工事が始まりました。何が建つのだろうと思っていたら、それが、リッツ・カールトン・サンフランシスコだった。契約更新の時期がきて、SFフェアモントの社長にどうするのかと聞かれ、正直迷いました。でも社長は、私がお昼休みのたびに、工事中のリッツ・カールトンの周囲をぐるぐる回っているのを何度も見かけていたのです。「行きたいのなら応援するよ」と言われて、頭を下げました。
 その後、試験を受けてリッツ・カールトンに入社して半年が経った頃、シュルツィ社長と会う機会があり、「SFフェアモントの社長にはきちんとお礼を言ったのか」と言われ、こんな手紙を受け取ったのだと教えてくれたのです。「自分の日本人の息子があなたのホテルに行くから、頼む」。これはしびれましたよ。目の前にあるライバルホテルに移るスタッフのために、企業のトップがこのような文章を書けるでしょうか。誰に対しても公平で、誰のチャレンジに対してもフェアである、これが本当の意味でのフェアネスだと実感しました。これは非常に大事な経験になり、私も人を応援できる存在になりたいと思いました。自分がリーダーの立場になったとき、「他流試合で頑張ってきなさい」とスタッフを別のホテルへ気持ちよく送り出すことができたのは、この経験があったからだと思います。

自分自身を定義し続けるということ

オーランドのリッツ・カールトンに各ホテルのセールスマンが集まったときの様子。

オーランドのリッツ・カールトンに各ホテルのセールスマンが集まったときの様子。

 シュルツィは、自分にはない強みを持っている人を徹底的に活かしました。それが、他ならぬ彼の強みです。それを間近に見てきましたから、リッツ・カールトンを大阪で開業するにあたり、私がまず行ったのは優秀な人材を集めることでした。
 よく、組織をデザインするという言い方をしますが、デザインには素材が必要で、それをどう扱うのかが重要になってくる。スタッフ一人一人の強みをどう活かすかを考えて組織をつくっていくわけです。
 日本では自分の性格を三角形で描くとしたら、その中に円を書いて、角っこが取れていくと「丸くなったね」と褒められます。でも、アメリカでは違う。三角形の尖った部分をもっと伸ばせという。つまり、同じ円でも三角形の外接円をつくれと言われるのです。だから、リッツ・カールトン大阪では「誰も内接円にはしない」と決めていました。そうしたら、でこぼこした社員がたくさんできました。でも、クセのある社員がいるほうが、組織は絶対に面白い。そういう組織のほうが、グローバリゼーションに対する対応力が高いでしょうし、多様性に対する許容量も大きくなる。社員一人一人の許容量が大きくなると、同時に謙虚さも生まれてくるものだと思います。リッツ・カールトンでは「ハンブルネスは力である」と言われていました。ホテルでさまざまなサービスを受けてこられたお客様のほうが、自分より経験値が高く、ホテルのことをよく分かっていると、謙虚にならなければならない。これは、お客様に限った話ではありません。私は松下幸之助先生の本をずっと読んできましたが、彼は成功の理由を問われ「自分が何も知らないから、知っている人に教えてもらう謙虚さがあったから」だと答えています。この考え方に、私も共鳴します。自分がすべてを知っているわけがありませんし、自分がすべてをやってしまったら、他の人の可能性を摘んでしまうことにもなりかねないと思うのです。

人とホスピタリティ研究所代表として広島で講演する高野さん。

人とホスピタリティ研究所代表として広島で講演する高野さん。

 最近では、経営にもホスピタリティの考え方を取り入れようという機運が高まってきました。でも残念ながら、それに成功している企業はまだ多くありません。その理由は、ホスピタリティを、利益を上げるための手段だと捉えているからです。ホスピタリティは「手段」ではなく「目的」です。お客様とどう向き合っていくのか、社員にどう育ってほしいのか。そういった「企業の在り方」そのものなのです。哲学と言ってもいいかもしれません。リッツ・カールトンの社員は、「今年一年、あなたがお客様のために作り出した価値のなかで、お客様に喜んでいただき、自身も誇りに思えたことは何ですか」と問われ続けます。これに答えていくことが、ホスピタリティを自身に浸透させる一つの解であるといえましょう。
 今やホテルにもAIやロボットが導入される時代になりましたが、当時からそれを見据えて、リッツ・カールトンはロボットにはできないことをやろうという気概があふれていました。大切にしていたのは、自分自身を定義するということ。例えば、本を読む。人と会う。そうすると、自分のなかに新しい価値観が生まれる。つまり、自分を定義しなおすことができる。昨日まで提供してきた価値と、今日提供できる価値は違うのです。自分のあり方を問い続けて、いろいろな夢を見て、日々新しい価値を生み出すこと、それはロボットにはできません。
 でも、それをやるのは人一倍、大変なことだと思います。だから、仕事が「楽」かというと、決して楽ではない。でも、どこよりも「楽しい」仕事ができるのは確かです。
 若い世代のみなさんにも、さまざまな価値観に触れてほしいと願います。そのためにも、ぜひ多くの若者に海外に飛び出してほしいですね。そして私がアメリカで感じたような「異文化のなかで呼吸する」体験を味わってほしい。変わらないでいることは楽かもしれません。でも、私は「成長とは何か」ということを定義するなら、それは「変わろうとしない自分と戦い続けるプロセス」だと思います。失敗してもいいじゃないですか。若いうちに「失敗する自由」を謳歌した人は、骨太な大人になれるはずですから。

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