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「対話」がひらく未来と、アートの役割 平田オリザさんインタビュー「対話」がひらく未来と、アートの役割 平田オリザさんインタビュー
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「対話」がひらく未来と、アートの役割

同じ文化、同じ言語を伝統的に共有し、以心伝心が得意なハイコンテクスト社会を生きてきた日本人。異文化が共生し、「はっきり言わなければ理解し合えない」ローコンテクスト社会の到来に向け、コミュニケーションの在り方に、今、変化が求められている。異文化理解とは何か。多様性の時代のコミュニケーションはどうあるべきか。そして、どうすればその力を獲得できるのか。「演劇」をキーワードに、演劇界の第一人者が語る。

    プロフィール
    平田オリザ(ひらた おりざ)
    1962年東京都出身。16歳で高校を休学し、自転車で世界一周旅行へ。大学在学中に劇団「青年団」を結成し、劇作家・演出家として活動。代表作に「東京ノート」「ソウル市民(三部作)」など。現代口語演劇理論を提唱し、演劇界に大きな影響を与えた。傍ら、演劇的手法を用いたワークショップやコミュニケーション教育にも取り組み、2021年には芸術文化観光専門職大学の初代学長に就任。著書に、『ともに生きるための演劇』(2022年NHK出版)、「22世紀を見る君たちへ これからを生きるための『練習問題』」(2020年講談社現代新書)、「対話のレッスン」(2015年講談社学術文庫)など。2012年の小説「幕が上がる」は、映画化でも注目された。

    多様性の時代の日本では「対話力」が重要

     日本人は昔から、島国のムラ社会でのんびりと暮らしていました。そこでは稲作が営まれていましたが、米作りで収量を上げるには、田植え、草取り、収穫と、村全体が協力して取り組むことが欠かせません。こうして日本では米作り文化を通して、同質性の高い「地縁」を大切にするコミュニケーションが育まれていきました。人々が文化や知識を広く共有する日本社会は、暗黙の了解や、行間を読むようなコミュニケーションが得意です。これを言語学の世界ではハイコンテクストと呼びます。

    柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 (正岡子規)

     この句を聞いて、あなたはどんな情景を思い描きますか? 斑鳩の里の秋、それも夕暮れの風景が自然と心に浮かぶのではないでしょうか。言葉を尽くして多くを説明しなくても、日本人なら誰もが容易に、こうした情緒や文脈を理解できるのです。これはハイコンテクスト社会の特徴です。

     反対に、国民の文化共有度が低く、言葉による明確なコミュニケーションが必須の社会はローコンテクスト社会です。民族的、言語的に、多様な背景をもつ人々が共存する多民族国家では、主語や述語をはっきり述べ、ものごとを論理的に説明することで、互いの意思や気持ちを理解し合います。英語自体ローコンテクストな言語であり、誤解が起きにくい、はっきりした表現方法を得意とするからこそ、国際公用語になったのです。

     ハイコンテクスト社会とローコンテクスト社会、どちらが優れているという話ではありません。それぞれに強みも弱みもありますし、どんな社会であろうとも、長所は伸ばし欠点は補っていけばよいのです。

     例えば日本では、「会話」と「対話」の違いは、ほぼ意識されることがありませんでした。私なりの解釈では、「会話」とは「価値観や生活習慣などが近い、親しい者同士のおしゃべり」です。これに対して「対話」というのは、「あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは、親しい人同士でも価値観が異なるときの意見のすり合わせ」です。

     つまり「対話力」は、異なる価値観を持つ人に、相手が理解できる文脈でものごとを説明し、相手の言動を客観的に理解する力です。同質性が高い日本人同士では、この力はあまり強調されませんでしたが、多様性が進めば事情は変わります。異文化背景をもつ人々と理解し合うためのコミュニケーションが、より求められるようになるからです。これからの日本人には、「会話力」以上に「対話力」が重要になっていくでしょう。

    平田オリザさん"

    異文化理解力とは、人生を豊かにする力

     異文化というと、とかく外国人を想定しがちです。しかし実際には同じ日本人にも、世代、ジェンダー、地域など、さまざまな要素によって、少しずつ異なる文化を背負う人たちが大勢います。

     こうした身近な異文化を含めて、異文化との出合いというのは分かり合えないことばかりです。誤解や衝突も起こります。しかし、「互いに分かり合えない」を前提として考えることこそが、コミュニケーションの出発点です。無理に相手に同意する必要はありませんが、その人がどうしてそのような言動をとるのか、理解しようとする態度や技術は不可欠です。

     一年半ほど前、トランプ前大統領の支持者が米連邦議会議事堂に乱入しました。彼らの暴挙には理解も賛同もできなくても、それでもトランプ氏に投票した7千万人の白人貧困層の悲しみや寂しさについては、私たちは理解に努めなくてはなりません。「対話力」というのは、異なる価値観をもつ相手に対して、キレない力、理解する努力を諦めない力です。「同意しないまでも理解する」ことを、英語でempathyといいますが、いま一番求められているのがempathyなのです。

     日本に住む人のうち、日本文化や日本語をバックグラウンドとしない人口は、将来、10%から20%くらいにまで増えるでしょう。若いみなさんは、これからそういう社会で生きていくのです。自分たちのやり方と違うからといって、毎日、毎日、キレたり諦めたりして過ごすのと、「へえ、自分は今まで、そんなふうに考えたことはなかったな」「じゃあ話し合って、やり方を変えてみようか」と、互いの違いを楽しむ人生と、どちらを選ぶべきでしょうか。異文化理解力とは、国際社会で活躍するための力ではありません。異文化と接する環境にあって、人生を豊かにする力です。

    役を演じる経験を通じて「同意しないが理解する」を体感

     異なる文化背景や価値観をもつ人を理解するためには、私の専門である「演劇」が、大いに役立ちます。人は劇中で役を演じると、「この人物はなぜ、ここでこんな行動をとるのだろう」「なぜこの場面で、言うべきことを言わないのだろう」などと、違和感のようなものを感じます。この違和感が、異文化理解や他者理解のきっかけになるのです。

     先日、ある公立中学校の社会科の授業で、源頼朝、義経、後白河法皇、御家人の4役に分かれて、ディスカッションドラマを作る活動を行っていました。義経役の生徒は義経の気持ちになって、「兄の頼朝は大好きだけど、後白河法皇も大事だしなぁ」と悩ましく思います。その義経を見た御家人役の生徒は、「今の義経には、ちょっとついていけないな」と考えるかもしれません。

     正解はなくてよいのです。重要なのは役について考えること。すると自分の立場がはっきりするので、そこに立脚した発言が活発に飛び出すようになってきます。自分が演じる人物の、そのときの気持ちを考えてみる経験が、empathy(同意しないまでも理解する)へとつながっていくからです。

     教育界では今回の学習指導要領改訂により、「主体的」で「対話的」で「深い学び」が打ち出され、学校では探究型の授業、課題解決型の授業が盛んに行われるようになっています。しかし日本の学校、特に中高一貫校などでは、学力も家庭環境も同じような子どもが集まるので、ものごとに対する見方、価値観、問題意識などが似かよってしまい、せっかくディスカッションを行っても本格的な討論になりづらいのです。そういう場面でも、ある種のシチュエーションを設定し、一人ひとりの生徒学生に‘役’を担当してもらうと、先ほどの中学校の事例と同じように、がぜんディスカッションに活気が出てきます。

     突然コミュニケーション力が開花するといった、魔法のような教育はありませんが、いろいろな場面で役割分担や役割交換をする経験は、意欲、協調性、忍耐力、計画性、自制心、創造性、コミュニケーション力といった非認知スキルを育てるうえで、とても有効だと思います。ぜひ演劇の力、フィクションの力を味方に、対話力を訓練してみてください。

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